理念/歴史

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文化少年剣道倶楽部は、武道の団体でありながら「文化」の文字を冠しているユニークな団体です。 「文化」という言葉は、現代ではもっぱらカルチャーの意味で用いられていますが、もとは、武装化を意味する「武化」の反対語です。創立者渡会光雄(※1)は、「武」はあくまでも「文」のためにあるべきという明確な指導理念をもって、当倶楽部の名前に現したもので、今もしっかりと受け継いでいます。 渡会の剣道指導理念は、子供たちが不良化しないで立派な人間になれるように、丈夫な体と強い精神力を養わせることにありました。警視庁三羽烏といわれたこともあるほど剣道が強い人でしたが、そういう人にありがちな「武」重視の考えは全くなく、常に勉学優先の指導方針でした。それは心の底から子供たちの将来を考えていたからだと思われます。奇しくも、創立時の道場は「関根文化公園(※2)」という「文化」の名を冠した青空道場でありました。

20110805bunka_gasshuku123.jpg倶楽部旗は、最後の剣豪と言われた中山博道(※3)の書「剣霊正人」(剣霊人を正す)です。手拭にもこれを用いています。創立者の渡会、二代会長の吉井武繁、三代会長の志村芳男の3人がいずれもほぼ同時期に中山門下生であったことから、志村が中山博道から授与された揮毫を旗印としたものです。鉄の棒に過ぎない剣に霊などあるはずがありません。「霊」とは「精神」の意味です。「剣を修行することで精神を鍛え立派な人間になろう」という意味で、「剣の理法の修練による人間形成の道である」という剣道の理念や「私たちは剣道を通じてよい少年になりましょう」という倶楽部の綱領も、四文字で表現すると「剣霊正人」になるともいえます。

もう一つ、わが倶楽部には「力行不惑」(力行して惑わず)の幟があります。元陸軍大将今村均(※4)の揮毫です。10周年記念大会に来臨された折に記念に揮毫して頂いたものですが、「皆さんが面を打つ時は、暑いことや寒いことなど何もかも忘れて迷わずに『メーン』と打ち込むでしょう。何をするにもそういう気持ちで取り組んでください」と少年たちにわかりやすい説明がなされました。

 「文化少年剣道倶楽部」は、創立以来、将来を担う少年たちに剣道を通じて人生に活かせる何かを体得してもらう手助けをすることを目的としており、子供達が稽古や大会参加を通じて何かをつかみ、世の中で役立つ人になってもらうことを願っています。

渡会光雄師範.jpg故 渡会 光雄 師範

奨励賞.jpg渡会先生の教えが実を結び、平成17年全日本剣道連盟より少年剣道教育奨励賞をいただきました。

※1
創立者 渡会光男先生の略歴

大正2(1913)年 山形県田川郡余目町(現庄内町)生。
兵役後上京し警視庁警察官となる。有信館に入門し、最後の剣豪といわれた中山博道に師事。「警視庁三羽烏」と言われた。荻窪警察署、立川警察署で剣道助教として警察官の剣道指導に当たる傍ら、杉並区関根町(現 上荻4丁目)の自宅付近の少年を集めて関根文化公園の青空道場で剣道指導を開始。後に文化少年剣道倶楽部と命名。杉並区剣道連盟設立にも尽力。

平成元(1988)年 没。享年75歳。剣道教士七段。

関根公園01.jpg昭和27年 区立関根文化公園


関根公園02.jpg当時の稽古風景

※2
関根文化公園

60年前の関根文化公園周辺はかなりの空き地、竹薮、沼地が有り今の西荻ゴルフセンターは関根山と言って防空壕跡が残る鬱蒼とした松林の小山でした。渡会先生が空き地で棒切れを振りまわしてチャンバラをしていた子供達を集めたのが始まりです。人数が段々と増えるに従い青空道場として関根文化公園を使うようになりました。現在は使っておりません。

nakayama のコピー .pdf範士 中山 博道

※3
中山 博道

明治5(1857)年 石川県金沢市生。
神道無念流第7代宗家として正統を継ぎ、居合の開祖林崎甚助重信に始まる林崎流居合の第16代継承者。現代居合の主流を占める夢想神伝流居合の創始者。杖術も神道夢想流の名人で、剣道、居合道、杖道の三道の範士。高野佐三郎とともに「昭和の剣聖」と呼ばれた。
中山の道場は東京本郷真砂町(現文京区本郷4丁目付近)にあり、「有信館」と称した。現在では白の稽古着・袴で稽古している人は珍しくないが、当時白い稽古着・袴で稽古をさせていたのは「有信館」だけであった。
昭和33(1978)年 没。享年86歳。

剣霊正人旗.jpg倶楽部旗(範士 中山 博道 筆)

倶楽部旗について

「剣霊正人(剣霊人を正す)」は、志村第3代会長に対して中山から授与された揮毫で、志村会長時代に正式に当倶楽部の手拭いや旗印に用いることとしたものである。

力行不惑.jpg元陸軍大将 今村 均 筆

※4
今村 均

明治19(1886)年 宮城県仙台市生。
陸軍大将。太平洋戦争では第16軍司令官として蘭印作戦を指揮。わずか9日間で約9万3千のオランダ軍と約5千の英米豪軍を無条件降伏させる。攻略の際、オランダによって流刑とされていたインドネシア独立運動の指導者、スカルノ、ハッタらの政治犯を解放。
戦後、戦争指導者として軍法会議にかけられオーストラリア軍による裁判では禁錮10年の判決が確定し東京巣鴨プリズンに服役するも、旧部下戦犯と共にマヌス島刑務所服役することを希望し、マッカーサーに直訴しマヌス島刑務所に自服役し、マッカーサーを感激させた。
昭和43(1968)年 没。享年82歳。

「力行不惑」の幟について
「力行不惑(力行惑わず)」は、昭和36(1961)年の創立10周年記念大会ご臨席の際に揮毫していただいたものである。

歴代会長

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初代会長 内本喜三郎先生(創立〜1975年)

杉並区剣道連盟設立に尽力。
寒稽古の最終日にラーメンを振る舞った。
今でもその名残を残している。

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二代目会長 吉井武繁先生 (1975年〜1987年)

東京帝国大学から中山博道先生の指導を受け自衛隊体育学校長、
全剣連常任理事、杉並区剣道連盟副会長を歴任された。
剣道は強くて怖いが、心優しい先生だった。

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三代目会長 志村芳男先生 (1987年〜2001年)

中山博道先生に師事し修行。
杉並区青少年育成委員会会長、杉並区剣道連盟会長を歴任。
子供達の事を何より優先する先生だった。

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四代目会長 清野一彦先生 (2001年〜2004年)

杉並区剣道連盟副会長を歴任された。
子供達を見る優しい眼差しが懐かしい。

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五代目会長 渋谷正雄先生 (2004年〜現在)

関根文化公園でチャンバラをしていた子供の頃に
渡会先生に勧められ当倶楽部に入会。
現会長

師範

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師範  片岡利博先生

昭和12(1937)年 東京都杉並区生。
昭和42年、文化少年剣道倶楽部に入門、
29歳で初めて竹刀を握り、基本稽古を中心に修行を始めた。
その後、昭和52年、武道学園へ入門、本格的な修行に勤しみ、
順調に段位を取得、平成11年に七段を、
14年に教士の称号を取得した。
文化少年の師範として、会員の指導にも尽力していたが、
平成27年4月25日に78歳にて永眠。

文化少年の歩み


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